誰も強制されていなかった:7月17日、AI株はベータの順に落ちた NEW
7月17日、日経平均は2,694円安の64,141円で引けた。前日比4.03%の下落で、1日の下げ幅としては歴代5位、週間では4,416円と過去最大の下げになった。半導体とAI関連が売りの中心で、キオクシアホールディングスは16.1%、イビデンは9.9%、東京エレクトロンは8.2%、アドバンテストは7.2%下げた。 多くの市場記事が、AIの成長神話への警戒を見出しに掲げた。だが、その日の値動きを一列に並べると、警戒された神話は見当たらない。見えるのは、もっと退屈なものだ。 各銘柄の下落率を、その銘柄のベータ(市場全体が1%動いたとき、その株が何%動くかの過去の平均)の順に並べてみる。ベータは公表値ではないので、7月16日までの直近250営業日で、各銘柄の日次リターンを日経平均に回帰して推定した。 ベータ0.69の三菱重工は3.71%下げた。ベータ0.83の日立は2.30%にとどまる。ベータ1.49の東京エレクトロンは8.17%。ベータ2.02のアドバンテストは7.20%。そしてベータ2.20のキオクシアが、16.10%落ちた。 ベータが低い順に下落が浅く、高い順に深い。この対応はほぼ完全で、10銘柄のベータ順位と下落率順位の順位相関は-0.88、偶然でこの並びが出る確率は0.1%を下回る。いちばん値動きの派手なキオクシアを除いても、相関は-0.83で残る。 つまり7月17日に起きたのは、こういうことだ。日経平均が4%下げた。各AI関連株は、それぞれのベータどおりに下げた。ベータ2の株は8%、ベータ1の株は4%。それだけである。 * ベータどおりに下げた、という言い方は、何も選別されなかった、という意味だ。それを確かめる方法がある。 各銘柄が「ベータから予想される下落」より深く落ちたか、浅く済んだかを見る。予想より深ければ、市場はその銘柄を特に嫌ったことになる。浅ければ、特に守ったことになる。この差を超過リターンと呼ぶ。 7月17日の超過リターンは、10銘柄すべてで統計的に有意でなかった。最も外れたキオクシアでもt値は-1.50で、有意の目安である2に届かない。過去のデータで見ると、この10銘柄のうち超過リターンが有意になる銘柄は平均0.65、多い日には6銘柄に達する。この日はゼロだった。特別に嫌われた銘柄も、特別に守られた銘柄も、一つもない。 日立が2.30%安で最も浅かったのは、日立が送電網の受注残を評価されたからではない。ベータが0.83だからだ。日立はAI以外の事業が大きい低ベータのコングロマリットで、低ベータの株が低ベータの日を過ごした。それ以上の意味はない。 三菱重工が3.71%で底堅かったのも同じだ。前日に発表された同社とNVIDIAのデータセンター分野での連携が効いた、という解釈もできなくはない。だが超過リターンは-0.83%、t値-0.37で、ベータからの説明を一歩も出ない。連携の報道が出た7月16日、三菱重工の株価は0.13%しか動いていなかった。 そしてアドバンテストは、自分の市場が広がる報せの日に売られた。同じ7月16日、台湾積体電路製造(TSMC)は2026年の設備投資見通しを600億〜640億ドルへ引き上げた。年初計画の520億〜560億ドルから、レンジごと80億ドルの引き上げである。経営陣は同じ説明会で、テスタが不足しており設備投資をテスタに追加投入しているとまで述べていた。テスタを売るアドバンテストには追い風のはずだった。それでも7.20%下げた。ただし、これもベータ2.02から予想される8.03%よりは0.82%浅い。嫌われて売られたのではない。ベータの分だけ売られた。 * なぜ、誰も選別されなかったのか。 売りが銘柄を選んでいないからだ。7月17日の下げに、単一の引き金はない。報じられている要因は複数ある。前日の米国市場でアルファベットのAIモデル開発の遅れが伝えられたこと、対イラン攻撃の激化に伴う原油高、米金利の上昇、そして韓国政府が個別株のレバレッジ型上場投資信託(ETF)の規制強化を発表し、韓国市場が休場だったために先回りの売りが国内のAI関連株へ回ったこと。 半導体への波及経路は、もっと具体的だ。前日、TSMCの決算は市場予想を上回った。だが好業績は織り込み済みとの受け止めから同社の米預託証券(ADR)が下落し、半導体株指数のSOXが4%を超えて下げた。東京市場は、その流れをそのまま引き継いだ。個別企業の決算が良かったか悪かったかは、関係がない。指数が指数を引きずったのである。指数先物にリスクオフの売りが出て、指数を構成する高ベータ株が、構成比に応じて機械的に落ちた。 そして売りは、半導体だけにとどまらなかった。ここに、銘柄が選ばれていないことのいちばん分かりやすい証拠がある。IHIは航空エンジンと防衛が主力で、AIインフラへの露出はほとんどない。ベータも0.73と低い。その低ベータの銘柄が、その日5.07%下げた。日経平均の4.03%より深い。AIバスケットの外にある銘柄まで、指数の一員として、本来のベータより深く売られた。銘柄の中身ではなく、指数への組み入れが売りの理由だったからだ。 もう一つ、間接的な証拠がある。下げの深さのばらつきだ。もし市場が銘柄を選別していたなら、嫌われた株と守られた株の差が開き、下落率のばらつきは広がるはずだ。だが実際は逆で、下げのきつい日ほど、銘柄間のばらつきは市場全体の動きに支配され、個別材料は埋没する。2015年以降のデータで、日経平均が4%以上下げた日の9銘柄の下落率のばらつきは平均2.0%、対して値動きの静かな日は1.5%だった。荒れた日のほうがばらつきは大きいが、それは全員がベータに従って大きく動くからで、選別が働いたからではない。7月17日のばらつきは、この10年の下落日の分布のちょうど真ん中に位置する。 * ここまでが「何が起きたか」である。ここからは「何が起きなかったか」を書く。そちらのほうが、判断には効く。 強制された売り手はいなかった。信用の投げ売りや、追証による強制決済や、指数からの除外に伴う機械的な売りが下げを増幅した形跡は、値動きのばらつきにも超過リターンにも出ていない。あったのは、指数先物へのリスクオフと、それに連動したベータどおりの下げだけだ。強制売りがないということは、この下げが自己増殖して底が抜ける類のものではない、ということを意味する。 だが、強制された買い手も、同じくらいいなかった。 半導体とAI関連を買ってきたのは、この局面では裁量の投資家である。モメンタムに乗る資金、テーマを買う資金、上がるから買う資金。価格に関係なく買わなければならない参加者、たとえば指数に連動するパッシブ運用は、下げたからといって買いを増やすわけではない。パッシブが買うのは決められた日程の決められた量に限られ、押し目とは無関係に機械的に執行される。 強制買い手がいない相場には、機械的な床がない。裁量の買いは、価格が下がったから入るのではなく、割安だと判断したときに入る。その判断がいつ、どの水準で起きるかを、この分析は教えてくれない。教えてくれるのは、そこまでの間、下値を自動的に支える力は働かない、ということだけだ。 実際、この日の後場には裁量の買いが入っている。日経平均は日中に一時4,100円あまり下げて62,700円台をつけたあと、引けにかけて1,400円戻した。国内証券が下値の目安として挙げていた75日移動平均を日中に割り込み、引けではその上に戻している。アドバンテストは前引けの10.8%安から引けの7.2%安まで、後場に戻した。誰かがナイフを掴んだ。ただし、掴んだのは強制されたからではない。安いと判断したからだ。 * 7月17日について言えることは、控えめだ。 この下げは、AIをめぐる何か新しい警戒が引き金を引いたというより、リスクオフの地合いのなかで、AI関連という高ベータの一群が、ベータの分だけ売られたものである。銘柄は選別されていない。どの会社が電力に張り、どの会社がNVIDIAの出荷に張り、どの会社が台湾の設備投資に張っているか。その露出の中身は、この日の値動きには反映されていない。 その中身がいずれ値段に反映されるのかどうかは、別の問いだ。売られすぎた銘柄が戻るのか、露出の違いに沿って分かれていくのか、それとも「AI関連」という粗いラベルのまま動き続けるのか。本稿はそこを検証していない。分かるのは、少なくとも7月17日の一日については、市場が中身を見て選別した形跡がない、ということだけだ。 言えるのは、7月17日が売られすぎか売られなさすぎかを判じる材料は、この日の値動きの中にはない、ということだ。値動きはベータに従っただけで、それ以上のことを語っていない。判断の材料は、値動きの外にある。各社が何に露出しているかという構造の側だ。それは別の稿で書いた。 本稿は投資助言ではない。7月17日の株価・下落率は各種報道および東京証券取引所の公表値に基づく。ベータおよび超過リターンは2026年7月16日までの日次リターンから筆者が推定した値であり、推定方法により変わりうる。