ガバナンス・コード改訂と126兆円の問い

本稿は2部構成の第1部。第2部はTOPIX除外、2026年株主総会シーズン、そして圧力がどこに集中しているかを扱う。 2026年、日本株は主要先進国市場をすべて上回っている。TOPIXの過去1年間の上昇率は29%、S&P 500は15%、DAXはマイナスに沈んだ。年初来の差はさらに大きい。日銀が利上げを続ける一方でFRBは据え置きを続けており、ドル建てで見ればこの差はさらに広がる。 本ブログは先月、東京証券取引所が2023年に打ち出したPBR改革(上場企業に資本効率と株価水準の改善を求めた指示)の全体像を整理した。スチュワードシップ・コード、コーポレートガバナンス・コード、東証の開示状況一覧、自社株買いの急増、政策保有株の縮減。それまでに構築された制度の地図だった。 本シリーズはその先を追う。規制の枠組みは「変化を促す」段階から「変化の証拠を求める」段階に移行した。その手段が5年ぶりとなるコーポレートガバナンス・コードの改訂であり、金融庁は2026年半ばの確定を目指している。焦点は日本企業のバランスシートに積み上がった126兆円(約8400億ドル)の現預金だ。 2月26日に何が起きたか 金融庁のコーポレートガバナンス・コード改訂有識者会議は2026年2月26日に第2回会合を開いた。第1回は2025年10月21日。有識者会議の任務はパブリックコメント用の改訂案を策定することであり、確定時期は2026年6月を目標としている。コードが策定された2015年も、その後の2回の改訂(2018年、2021年)もいずれも6月に公表された。 2月会合で提示された改訂案は、一つの原則を軸にしている。企業は資源を有効に配分していることを説明しなければならない。とりわけ現預金が投資に振り向けられているのか、単に退蔵されているのかが問われる。コードは法律ではなく、文言は慎重だ。だが方向性は明確である。金融庁は企業に「資本効率を意識せよ」と言う段階を超え、「意識した結果を示せ」と求めている。 改訂案のうち、3つの要素が特に重い。 1. 現預金の合理性の説明 核となる条項は、企業に対し現預金の使途が有効であることの説明を求めるものだ。文言は穏やかだが、実質的な転換である。現行コードの下では「資本コストや株価を意識する」ことが求められている。2023年の東証指示の文言だ。多くの企業が計画を公表して応じた。真摯な開示もあった。だが有価証券報告書に一段落を添えただけ、数値目標を欠いた定型文も少なくなかった。 改訂案は意識した結果を数字で示すよう求める。企業は現預金を含む資源配分が戦略的目的に資することを、述べるだけでなく実証しなければならない。つまり、説明すべき中身が変わる。現行の枠組みでは、5000億円の現預金を持つ企業でも「活用を検討している」と述べれば足りる。改訂案の下では、その現預金が何のためにあるのか、なぜ株主に返還または投資に充当しないのかを説明する必要がある。 マッキンゼーの推計では日本の非金融企業が保有する現預金は150兆円(約1兆ドル)超で、集計対象によって数値は変わる。ブルームバーグは上場企業分を126兆円(約8400億ドル)と報じた。 2. 政策保有株の透明性 改訂案は政策保有株に正面から踏み込んでいる。他社株式の保有目的と合理性について、より踏み込んだ開示を求める。原則としてこれは新しくない。2021年の改訂で金融庁はすでに同じ方向を示していた。だが今回の案は、株式の実質的な保有者の開示と、各保有が株主利益に資する理由の説明を求めることで、要求水準を引き上げている。 時期が重要だ。野村の分析によれば、2024年3月末時点で政策保有株の比率は30.8%だった。1980年代のピークから長期的に低下してきたが、いまも時価総額の3割を占める。3大損保グループ(MS&AD、東京海上、SOMPO)は政策保有株の全量売却を表明済み。メガバンクも同様の軌道にある。だが中堅の製造業や地方企業の多くは、ほとんど手をつけていない。コード改訂は、すでに動いた先行組ではなく、動かない後発組に照明を当てる。 政策保有株を売却すれば、その資金はしばしば自社株買いに向かう。2023年以降の相場を支えてきた好循環がここにある。売り手は自社の資本効率を改善し、株式を売られた側の企業も供給吸収のために自社株買いで応じることが多い。双方のROEが改善する。コード改訂は、保有を続けることへの市場の目を厳しくすることで、この循環を加速させる。 3. 機関投資家の共同対話 目立たないが重要な変更が投資家の対話に関するものだ。2025年6月に確定した改訂スチュワードシップ・コードは、複数の機関投資家が共同で企業に働きかけることをすでに推奨していた。障壁は大量保有報告規則だった。投資家が協調すると「共同保有者」として扱われ、煩雑な開示義務を負う。 2024年の金融商品取引法改正は2026年5月1日に施行される。「共同対話の適用除外」が導入される。3つの要件(当事者がすべて機関投資家であること、重要提案行為を目的としないこと、合意が個別の議決権行使のみに適用されること)を満たせば、共同保有者として扱われない。例えば生命保険会社3社や外国の運用会社2社が現預金過多の中堅企業に共同で働きかける際の法的リスクがなくなる。 実務上の効果は明確だ。PBR1倍を割り込む企業に対し、複数の投資家が連携して働きかけることが法的に安全になる。最初の試金石は、改訂の直後に迎える2026年の株主総会シーズンだ。 コードにできないこと 期待先行を避けるため、コードがやらないことも述べておく。 コードは法律ではない。法定罰則はない。「遵守するか、遵守しない理由を説明するか」で運用される。企業はいかなる原則についても、理由を説明すれば遵守しないことができる。コードの力は強制力にではなく可視性にある。東証は、どの企業が資本効率計画を開示し、どの企業が開示していないかを公表している。体面を重んじる日本の企業文化では、この「見られている」という感覚は多くの外国人投資家が想像する以上に効く。ただし法的拘束力はない。 コードはまた、具体的な行動を指示しない。「1000億円の自社株買いを実施せよ」とも「現預金比率を5%に下げよ」とも言わない。コードが形成するのは枠組みであり、取締役会はその中で、投資家の期待、同業他社の行動、年々厳しさを増す株主総会という圧力の下で判断を下す。拘束力を持たせているのは条文ではない。市場参加者の視線そのものだ。 なぜ6月が重要か コードは2015年6月に策定され、2018年6月と2021年6月に改訂された。いずれも企業行動に測定可能な変化をもたらした。2015年のコードは独立社外取締役の要件を導入した。2018年の改訂は取締役会の多様性への期待を強化した。2021年の改訂はプライム市場のガバナンス上乗せ基準を設け、それが直接的に東証の2023年PBR指示につながった。 2026年6月の改訂は、過去のどの出発点よりもすでに進んだ市場に到来する。自社株買いは過去最高、アクティビスト提案は過去最高、上場廃止件数も過去最高。コード改訂がさらに勢いを加速させるか、すでに織り込み済みかは、どこを見るかによる。先行組(MUFG、トヨタ、ソニー、日立)にとって、コード改訂はすでに実行中の方針を追認するものだ。だが126兆円の現預金の大半は、中堅製造業、地方のコングロマリット、定型的な資本効率計画を公表しただけで具体的な成果を示していない企業のバランスシートに積まれている。改訂はこれらの企業にとって、不作為のコストを引き上げる。 第2部は、2028年までに予定されるTOPIXからの約500社の除外、2026年株主総会の戦場、そして圧力がどこに集中しているかを追う。 制度は2014年から2023年までに整った。東証が2023年3月に号砲を鳴らした。金融庁がさらに圧力を強める。長期投資家にとって、本丸はここからだ。 — 玉露

2026年3月21日 · 1 分 · Gyokuro (玉露)

東証改革とPBR1倍問題:日本企業が変わり始めた本当の理由

2023年3月、東京証券取引所はプライム市場およびスタンダード市場の全上場企業に対し、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請した。当時、プライム市場の約半数がPBR1倍割れ、ROE8%未満という状態にあった。海外投資家が日本株を構造的にアンダーウエイトにしてきた最大の理由の一つである。 要請から約3年。何が変わり、何が変わっていないのか。 開示は進んだが、質に課題が残る モニクル総研によれば、2024年12月末時点でプライム企業の90%が何らかの開示を行い、スタンダード市場でも48%が対応済みだ。東証が2024年1月から対応企業の一覧を毎月公表したことで、「未開示」が可視化された効果は大きい。 ただし、開示の量と質は別問題だ。PwCは「増配や自社株買いだけではPBRの本質的な改善にはならない。成長ストーリーを示す必要がある」と指摘している。多くの企業が「とりあえず増配・自社株買い」で対応しているのが実情であり、事業そのものの成長戦略を伴っていないケースも少なくない。 数字は改善傾向にある いちよし経済研究所のデータによれば、プライム上場企業のROE中央値は2023年3月の8.57%から9.15%に改善した。PBR1倍割れ比率は47%から43%に低下している。 業種別にみると差が大きい。建設・建設資材のPBR1倍割れ比率が78%から44%へ、物流・卸売が43%から22%へと大幅に改善した一方、医薬品・医療機器、小売では1倍割れ比率が上昇している。いちよし経済研究所はこの改善要因として、積極的な増配・自社株買い、TOB・MBOの増加、アクティビストの関与、価格改定による業績改善を挙げている。 TOPIXは要請時点からおよそ1.5倍以上に上昇した。ただし、この上昇のどの程度がガバナンス改革に帰属し、どの程度が円安・半導体サイクル・海外資金流入によるものかを切り分けることは容易ではない。 PBRの分解が示す課題 PBRはROEとPER(株価収益率)の積に分解できる。ROEの改善は自社株買いによる自己資本の圧縮で即効性があるが、それだけでは限界がある。PERの上昇、すなわち成長期待の醸成には、事業ポートフォリオの再構築と、それを投資家に説得力を持って伝えるIRの力が不可欠だ。 東証の要請が「開示」と「対話」を求めている意味はここにある。財務テクニックだけでPBRを引き上げても、利益が減速すれば自己資本の縮小がROEの低下を増幅する。持続的な改善には本業の収益力向上が欠かせない。 後戻りしにくい構造 改善幅はまだ小さいが、この改革には過去の「掛け声倒れ」とは異なる構造的な特徴がある。 第一に、東証が開示企業の一覧を毎月更新・公表している点だ。一度開示した企業が翌年取りやめれば、それ自体がネガティブシグナルになる。制度が企業を動かす仕組みが定着しつつある。コーポレートガバナンス・コードも2026年の改訂でさらに強化される見込みだ。 第二に、海外投資家が改革の進捗を注視している。JPXの投資部門別売買状況によれば、海外投資家は2025年後半に大規模な買い越しに転じた。後退すれば資金引き揚げのリスクが顕在化する。 第三に、アクティビストの存在がPBR改善を後押ししている。エリオット・マネジメント、バリューアクト、ダルトン・インベストメンツなど海外のアクティビストが日本企業の株式を取得し、経営改善を要求するケースが相次いでいる。いちよし経済研究所のレポートでも、PBRが改善した業種の要因としてアクティビストの関与が明確に挙げられている。 踊り場のリスク とはいえ、楽観一辺倒には根拠がない。日経新聞は「PBR改善は踊り場に来ている」と報じている。McKinseyが指摘する通り、日本企業のROICは約8%にとどまり、米国の21%、欧州の15%とは依然として大きな差がある。 過去の改革の教訓も忘れるべきではない。1990年代後半の「金融ビッグバン」もアベノミクスも、当初の期待ほどには企業行動を変えられなかった。今回の改革が「開示」から「実行」へ移行できるかどうかが、次の焦点になる。 投資家にとっての示唆 PBR1倍割れの企業が改善に動くということは、現在の株価が理論上の解散価値を下回っている可能性を意味する。東証が公開している開示企業一覧は、どの企業が真剣に取り組んでいるかを判断するための出発点になる。 注目すべきは、PBR1倍未満でROEが改善傾向にある企業、中期経営計画でPBR1倍超を掲げている企業、そしてアクティビストが株式を取得している企業だ。ただし、自社株買いの発表だけに反応するのでは不十分であり、事業の成長戦略と組み合わせて評価する必要がある。 改革が「開示」の段階を超えて「実行」に移行するかどうか。2026年のコーポレートガバナンス・コード改訂と、その後の株主総会シーズンが最初の試金石になる。 ※本記事は特定の金融商品の購入・売却を推奨するものではない。投資に関する最終的な判断は、読者自身の責任で行っていただきたい。

2026年2月23日 · 1 分 · 玉露 (Gyokuro)